こんにちは!
ランニングフォーム改善ブログの筆者の真田と申します。
このブログではランニングフォームの情報を中心にランニングに関する様々な情報を発信しています。
より多くの方に情報を発信して、理想のランニングフォームに近づく手助けを出来ればと思います。
ランニング歴
昭和64年(1989年)1月生まれ。
兵庫県神戸市出身。
中2の体育をきっかけに長距離に興味を持つ
私は小学校、中学校と野球をしていました。
野球は正直下手でした(笑)
走ることに目覚めたのは、中2の冬。
体育の持久走で学年トップになりました。
それをきっかけに走ることに興味を持つ。
最初のきっかけは「得意だから好き」です。
それまで勉強も不得意、スポーツも不得意、友達も少ない(笑)
そんな自分に初めて得意なことができて嬉しかったことを覚えています。
中3の駅伝をきっかけに陸上人生のスタート
中3の夏まで野球部に所属していましたが、
引退後、陸上部の先生に声を掛けられ、駅伝に向けて陸上部入れて頂きました。
学年では1番でしたが、同じ学校の後輩に負けたり、区の大会や市の大会に出たら先頭から1周近い差をつけられたりと、井の中の蛙だったことを良く知りました。
それでも野球部時代はずっと補欠で試合にも出れなかったのに対して、個人種目である陸上競技はすぐに試合に出れたのでどんどん走ることにハマる自分がいました!
高校は名門校へ
私が選んだ高校は全国的にも強豪校だった報徳学園高校です。
駅伝目的で報徳学園に行く人は皆、3000mを9分前後で走るような兵庫県トップレベルの選手ばかりでした。
そんな中私は10分も切れないタイムにも関わらず報徳学園を選びました。
理由は「全国高校駅伝に出たい!」という思いで進学。
入学時はダントツで1番遅かったものの、1年の秋には同級生に追いつき、2年目にはレギュラーになりました。
そして2年の12月に夢だった「全国高校駅伝」に出場しました!
3年の時は全国大会に行けませんでしたが、推薦で大学に進学できることになりました。
大学は関東へ
大学は箱根駅伝を目指して、中央学院大学に進学しました。
慣れない環境の中、1年目はケガを繰り返したり、思ったように走れませんでしたが、あと一歩で箱根駅伝のメンバーに入れそうなところまでいきました。
1年目の箱根駅伝後、千葉マリンマラソンで現在に至るまでのハーフマラソンの自己ベストである1時間4分34秒の記録で走りました。
2年目こそと思い、1年目より走れていましたが、2年目からアキレス腱を痛めるようになりました。
痛いまま走っていましたが、練習は継続できていたので、10月の出雲駅伝に出場することができました!
その後箱根駅伝も出場予定で区間エントリーまでされていましたが、箱根駅伝前日に故障し、当日変更となりました。。。
その後もケガを繰り返し、3年目はアキレス腱の故障を歩くのにも支障が出るくらい悪化。
そこからはアキレス腱が良くなることはなく、少し良くなって走ったらまた痛めての繰り返しでどんどん走ることができなくなりました。
そして復帰をしても練習についていくことすらできなくなり、3年目の箱根駅伝が終わった直後に駅伝部を退部させられてしまいました。
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いつの間にか走ることが嫌いに
中学の頃、「好き」で始めた走ることが、いつの間にか「嫌い」に変わっていました。
これは市民ランナーにも言えることかもしれませんが、走り始めた頃は多くの人が、走れば走るほど記録が伸びていきます。
しかしある程度までいったら、伸び悩むことがあると思います。
そして、私の場合は大学時代に伸び悩みました。
その時に伸び悩んでいることで、
「周りの期待を裏切っている」
ということをたくさん言われるようになり、何のために、誰のために走っているのかわからなくなりました。
そして走れば痛みがあり、結果が出なけらば責められと、どんどん走ることが嫌いになっていました。
一度走ることから離れる
退部させられた時には、もう走りたくないという思いが強かったので、市民ランナーになろうという考えは全くありませんでした。
しかし、体を動かすことやスポーツが好きだったので、そういった業種の仕事に就きたいと思い就職活動に臨みました。
そんな中、唯一内定を貰えたのが「護身術を指導する」と言う仕事。
なんでいきなり護身術?!と思いますが、私には今でもわかりません(笑)
護身術を通じて学んだカラダのこと
護身術を教える仕事ですので、自分自身も当然動けないといけません。
特に格闘技等の経験が無い中での、挑戦だったので人一倍頑張らないといけない立場でした。
しかし、ここでもケガに悩まされます。
ケガを繰り返したり、時には手術もしました。
どこの病院に行っても医者に筋力をつけなさいとしか言われず、筋力トレーニングをよくやってましたが、
筋力をつけても自分の力で自分を壊してしまい全く効果がありませんでした。
ここでカラダの使い方について考え、学ぶようになりました。
そして護身術を通じて色々なカラダの使い方を学ぶようになって、
姿勢が変わり、ケガも減って、練習もたくさんできるようになりました。
そして何より学生時代にこのカラダの使い方を知りたかったと思いました!
再び走り始める
その後、同級生の結婚式があり、みんなで集まった時に未だに走っている人が多かったので自分も走りたくなり、3年ぶりに走り始めました!
久しぶりに走った時は、1時間走ろうと思ったのに、30分でギブアップしましたが(笑)
しかしそこから1年かけてフルマラソンも走れるようになり、
2014年3月の板橋Cityマラソンで2時間29分35秒で走り、サブ2.5を達成。
ランニングインストラクターに
護身術のトレーナーを辞め、ランニングのインストラクターになりました。
約1年間、ランニングインストラクターを経験し、2014年4月からRabbitFootランニングクラブを立ち上げることを決意!
RabbitFootランニングクラブでは私の経験を元に、ケガをしない為のランニングフォームや体の使い方を習得して頂き、
ケガなくいつまでも楽しく走ってもらえるように心がけています!
自己ベスト
ハーフマラソン:1時間4分34秒
30km:1時間39分58秒
フルマラソン:2時間26分33秒(大阪マラソン2015)
※2015年10月現在
愛用シューズ
HOKAONEONE(ジョグ用)
※現在は履いていません。
練習会のペーサーでゆっくり走ることが増えたので、クッション性重視で選びました。
ジョグ用をHOKAに変えてから故障も減った気がします。
HOKAは元々トレイルやウルトラマラソン用で、あまり知られていないメーカーですが、最近は徐々に使用者も増えています。
HOKAは他のメーカーには無いソールの厚さがあり、厚いけど踵だけが厚いわけではなく、つま先も厚いので、つま先とかかとの高低差がほとんどなく、フラットで走りやすいです。
また厚さの割には軽く、走りを邪魔しません。
もう1年以上ジョグはHOKAONEONEを履いてます。
※追記
約2年近く愛用していましたが、最近は履かなくなりました。
理由はレース用シューズとジョグ用シューズのソールの差がありすぎて、レース用で練習した時に負担が大きいからです。
実際にそれが原因で足の裏を痛め、HOKAを履かなくなってから少しづつ改善され治りました。
使っていく中で普段のジョグで足を守られ過ぎるのも良くないなと感じました。
ただ、HOKAを履いていた時期があったからこそアキレス腱炎も改善された事実もあるので要は使いようです。
実際にHOKAは足を守ってくれるんだなと感じたし、守られ過ぎも良くないと感じました。
現在ジョグ用はアディダスのボストンシリーズを履いています。
アディダス(レース用)
学生の頃は中学から大学までずっとアシックス一筋でしたが、社会人になってから走った時に、学生時代に痛めた古傷を再度痛め、その時にシューズも疑いました。
そこでアディダスに変えたところ、痛みはすぐに改善されました。
どうやらアシックスのかかとのホールドがしっかりしていることが、私の足に合わなかったようです。
アディダスのヒールは割とフラットで私の足に対するストレスが無く、今でも使っています。
※追記
現在はジョグ用もアディダスを履いています。
シューズ選びについて
一昔前はランニングシューズと言えば、アシックスかミズノの2択でしたが、今はランニングブームのおかげでどこもランニングシューズに力を入れており、メーカーによるシューズ機能の差よりも、足に合うかどうかが重要だと思います。
ランニングシューズは高価なものですが、ランナーにとって非常に重要なものです。
私も何足かは2,3回履いて合わなかったので、それ以降使ってないものもあります。
勿体ないけど、それでケガする方がもっと勿体ないです。
ブログではこういった実際にあった経験も伝えていけたらと思います。